現在、日本がさらには世界を巻き込む形で重要な論争点にすえられているのが安全保障関連法案の集団的自衛権の解釈でありその行使であろう。 かつては専守防衛論がおおむね日本国憲法第9条の許された解釈であった。 しかし、その専守防衛論を逸脱して「自衛のための必要最小限度の実力」がいまでは、 「必要最大限の実力をもつ戦力」たる自衛隊が変容し常備軍としての威力を有している。 いまや世界の七つ海の向こうまでグローバルに自衛隊が「わが国の平和のために安全安心」と「生活保障」、そして決定的な「危機管理論」を名目として、 国際貢献や国際協調主義を大義としながら海外派遣されている。 この自衛隊による海外侵攻が制約を見ずに、いわば無政府的に侵攻可能で重大な危機に直面するにいたっているのは、 非武装平和主義の精神を堅持している憲法の受忍限度を超えていることになる。 もちろんその背後には、警察予備隊を設置していた保安庁は防衛庁の前身であったが、 その後防衛省になり国家機関が組織再編され強化してゆく過程で制服のヘゲモニーが推進力を増し続けた結果、 PowerPolitics が前面に押し出され CivilianArticle(憲法第六六条二項)が衰退傾向としての様相を呈している。 このタイトルにあるように本書は、 かつての有事法制である「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」などを含めた 国会での平和安全法制整備法案や国際平和支援法案の内容と法案そのものを合憲と主張する政権政党を批判しようとするものではない。 目的とするところは、日本国憲法の真髄をいまここで問うという問題提起である。 先の大戦での多くの戦争犠牲者やその遺族を思う時、われわれは憲法の精神を歪めず擁護し、さらに再考し考察を繰り返す必要がある。 その精神を没却してはならないということは、概して憲法の規定が平和憲法であるということを前提にしつつ、これからの後世に憲法の精神を継承するためにも、 そして社会科学という立場からも日本国憲法の位置づけをたんなる、象徴としてではなく生きている憲法として肯定的に再認識すべきである。 そしてそのことは、人間と人間が争い、傷つけあう醜さと、国家間の対立とあらゆる紛争をなくすためにも、 軍事力によって日本の安全を図るためのものでもはないということを明らかにする。 いわば最高法規としてのゆるぎない地位におかれている憲法の条文を空洞化させず、風前の灯に置かれた状態から憲法を救い、 人々が人間として人間らしく生きてゆくためのものとして幸福であることを追求した憲法典の造詣を深めることが重要なのである。 平和を守り貫くことの大切さを知り、勤むことをねらいとして憲法の前文から全ての条文を擁護する立場を護憲と称するのである。 したがって、まず憲法を熟知るための本書の構成は、 第一章ではその所与として前文と条文を読むことからはじめ、 第二章ではその目的は何か、何を想定している条文なのかを探りながら深化させ、 かくして第三章の最終章では目的がどのような事柄に根差しているのかを見極めることが必要であろう。 最後にはその条文の各項の理解へと進み、解釈したものすべてが措定されてやがては自己に帰属し到達するという三段階の方法をとる。 これが本書の特徴をなす憲法学の方法論である。 この方法によってあらゆる憲法付属法に対して批判的批判を加えることが、 科学の基礎として必要とされていることから憲法典が示す原典回帰の試みをしようとするものである。 ―労をいとわず人類の平和憲法を獲得するまで― 憲法前文を包括規定とし、さらに平和憲法を生命原理と規定した。 憲法の変遷とは「法的プラグマティズム legalpragmatism」であり国連憲章第51条の集団的自衛権を援用し道具箱のように論理的正当化を図る解釈改憲をすることである。 憲法学の方法論としては、抽象的な包括規定の3つの基本原理に憲法の各条文を照応させる体系的で客観的な社会科学としての合理的解釈をとることにした。 ついで憲法の主体が国民であるがゆえに憲法を尊重する権利を有し、公務員はしたがって2重の意味で尊重することになる。 その意味で護憲とは憲法と国民が一体化され統一され帰属することになる。 憲法第9条は 1928年のパリ条約での不戦条約・ケロッグブリアン協定が影響している。 学説での全面放棄説に立脚しつつ、戦争を自衛戦争のみとする戦争など類型化は是認できない。 戦争とは戦力消費説と規定した。 それはパールハーバーから巣鴨プリズンの史実が証左として裏打ちされている。 鈴木安蔵・高野岩三郎らの憲法研究会での「憲法草案要綱」 田畑忍の『憲法学講義』において「第9条に従って/非武装永世中立主義を内在的に要請する」 。 永世中立とは憲法が非軍事同盟と国際安全保障政策から独立し、「人類普遍の原理」をもってして非武装を要件として抵抗を求めているが反武装と積極的に解釈すべきである。 オスロ国際平和研究所設立したY.ガルトゥンの構造的暴力(1969年)とガルトゥングへの影響。 平和学とは、平和構想の諸条件を創造的にデザインし、平和運動と平和教育という平和を追求する学問領域である。 「人間性実現の科学」といわれているがいまだ体系化されていない課題がある。 憲法学との共通項としては第9条の「人間保障観」であり、1990年UNDR(国連開発計画)によって紛争からの非暴力的な対応と貧困、飢餓、抑圧政治など社会構造からの転換を提起した。 このように憲法との価値観を共にしている。 鈴木茂三郎は警察予備隊違憲訴訟のリーディングケース。 「青年よ銃をとるな」とは1951年(昭和26年党大会)の憲法典の人類史的平和主義を貫く演説が息を吹き返している。 それは平和運動や平和研究に原理として生かされ、生きている憲法と国民の間に「結い」として継承されている。 国民主権、恒久平和主義、基本的人権を三位一体とした生命原理に原典回帰することで社会科学としての日本国憲法を自己に帰属させる三段階の方法が護憲への第一歩となるのである。 したがって、現行硬性憲法が国家機関や後世にどのように希望を与えながら継受されてゆけるか、今後の課題である。 Grassrootsグラス・ルーツとしての社会的意識と諸問題に対する現実分析という洞見が求められている。 |